現実を見るということ
私は、自分のことについて考えると、悪い点しか出て来ない。
例えば、頭の悪さとか、努力を怠っていた事実、また勉強以外でも容姿や性格の悪さや会話力の無さなどもう沢山ある。
そのような現実を突きつけられた時、今までは現実逃避するか、憂鬱になるかのどちらかであった。
現実逃避の例として、全てを放り出して遊んでしまったり、または何かの承認欲求を満たすことで紛らわしたり、などである。
現実逃避というのは現実を見れなかったということ、憂鬱になるのは現実を見たら自分の思っているものに比べ劣っていて現実を受け入れられなかったいうこと。
このようになってしまう原因として、自分が変に高いプライド(理想)を持っており、それを捨てきれなかったことが考えられる。
(つまり、プライドが高くて現実とは違うから受け入れられないのである。)
ただ、長い目で見ると、ずっとプライドが高いまま現実を受け入れられないと、それと現実との差異から現実逃避、憂鬱さがずっと続いてしまうだけである。
逆に一回でも現実を受け入れられると、自己分析により私が真に求めていることに対して現実はどの程度足りないか、足りるようにするには何をすれば良いのかを考えられて、一歩成長できる。
このようなことを、21歳にして初めてわかった。
もちろんプライドが高いのは良くないだとか自己分析は大事ということくらいは知っていたが、私がまさかプライドが高いとは今まで思ったことも無かった。
上で書いたような理由から変なプライド(自己肯定感とは別の)が低い方が人生において合理的なので、最近は少しずつ低くするように意識している。